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琉球王国をプロデュースした人たち ~懐機・客家~ [支那通信:CHINA journal]






1429年、三山(北山、中山、南山)を統一した琉球王国の初代王、
尚巴志(しょうはし)をサポートした謎の人物が懐機(かいき)。
懐機
生年:生没年不詳
尚巴志王代の琉球王国の国相。中国からの渡来人か。初代尚思紹から5代尚金福に至る第一尚氏歴代の王に仕えた。2代尚巴志代に国相となり、三山統一や中国への進貢貿易に尽力した。1427年建立の琉球最古の金石文である「安国山樹華木之記碑」に、北京に派遣されたこと、王城外に池(竜潭)を掘ったことがみえている。また旧港(パレンバン)の宣撫使や中国竜虎山の天師大人(道教教主)に文書や礼物を送っており(『歴代宝案』)、その権威の高さがうかがわれる。1450~53年には那覇と泊を結ぶ長虹堤を創建している。古琉球王国草創期の注目の人物である。

『朝日日本歴史人物事典』 より引用

当時、那覇の浮島の久米村(クニンダ)に居留していた、
久米三十六姓と呼ばれる中国人のグループのリーダーでもあった、懐機
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国相 懐機(カイキ) より引用

この懐機がいなければ、琉球王国は成立しなかったかもしれない?
(つうか、琉球王国を成立させるために、沖縄に派遣された?)

ちなみに、沖縄には神戸や横浜のような、チャイナタウン(中華街)がありません。
(同化してしまったと思われます?)

懐機は、大和朝廷をサポートした、武内宿禰に匹敵するくらいの、
謎の人物だったと、僕は、勝手に思ってます。

懐機天照大御神もお祀りしていた?
懐機は神威に感謝するため天照大神を祀る神社と長寿寺と呼ばれる寺院を建立した…

長虹堤 ーWikipedia より引用

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那覇市久米の天妃小学校の東南角に残る天妃宮跡の石門

Photo by Toshi

中国人のなかでも特に航海、造船等の技術、外交文書の作成、
通訳、商取引などにたけている、客家(はっか)と呼ばれる人たちがいて、
実は久米三十六姓は、客家だったそうです。
(実は、この客家も、けっこう謎だらけ?)

貿易に必要な大型船(進貢船)は、中国からの提供で、クルーはもちろん客家。

貿易に必要な手続きや書類作りは、もちろん客家の人たちの得意なお仕事。

僕は、中国(当時の明)は、琉球王国を設立することをサポートし、
戦争や侵略ではなく、進貢貿易というビジネスで、
お互いにWINWINな関係を築くという、平和的なプロジェクトを実行したと思ってます。

琉球王国(The Ryukyu Kingdom)のシンボル

【左御紋(ふぃじゃいぐむん)】

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僕は、この3つのともえが、それぞれ、 沖縄・中国・日本に見えてきてしょうがないです

首里城公園 琉球王朝祭り首里 古式行列
https://www.youtube.com/watch?v=EOBGiIrfOuo

琉球の什宝 #001 玉冠
https://www.youtube.com/watch?v=6rdNd6q-pTU

PEACE








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