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カムイとカミの違い ~『アイヌの世界観』より~ [愛奴通信:AINU journal]






日本のカミは人間の不平等を肯定する

カミの観念についてみると、アイヌカムイと日本上代のカミとのあいだに自然現象をはじめ、動植物、人工物など多様なものに神性・霊力を認めるという点では基本的に違わない。また、カミには善いカミと同時に悪いカミも認めるというように、カミを道徳的基準によって一律に定義するという考えに基づかない点においても同じである。

しかし、カムイの観念においては、動物、植物といった自然神が重要な意味を持つこと、人間も死後カムイとなるというように人間とカムイとは同等であることが強調される。人間を含め万物は平等な関係にあると考えられる。これに対し、日本上代のカミの観念においては自然神それ自体よりも氏族の祖としての神といった意味がより重要になる。人間は一般に死後もカミとはならないと考えられる。これに対し、天皇をはじめ、特定の氏族の祖としてカミが想定されるように、特定の人間集団の祖としてカミがとくに意味を持たされる。特定の人間の集団がカミとのつながりを持つ点で選別され、何らかの政治的、宗教的地位を持つことになっている。カミの観念が人間の不平等を肯定する論拠となることが特色である。この点においてカムイと大きく異なるのである。
…………

上代日本人とアイヌのあいだで自然崇拝という点では異ならないといえるが、人間と神との関係の認識という点においてはこのように大きな相違がみられるのである。

すべてのものは平等

アイヌの世界観は、自然を含めすべてのものの本質的平等性を根本として成り立っている。これに対し、上代日本における世界観においては、世界像、カミとの関係をはじめ明確な上下関係を想定したものとなっている。

上代日本における世界観がアイヌの世界観と大きく相違する点は、一つには弥生時代以降の農耕を基盤として発展した社会・政治的体制によるものということができる。

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『アイヌの世界観―「ことば」から読む自然と宇宙』 山田孝子著 より引用

カムイとカミの違い、それぞれの観念の相違点について、
山田孝子さんが、素晴らしいアプローチをされているので、
この場にシェアさせていただきました。
これだけの抜粋では、すべてを理解することはできませんが、
いろいろと考える、きっかけの一つにはなると思います。

カミには、天津神と国津神があります。
高天原を追い出された、アマテラスの弟のスサノオは、
出雲に降り立ち、ヤマタノオロチを退治した後、
クシナダヒメと結ばれ、オオクニヌシが生まれます。
(スサノオは天津神で、オオクニヌシは国津神)

僕は、高校・大学がプロテスタントだったので、
聖書キリスト教に関しては、学校でも勉強しました。
礼拝もあったし、賛美歌も歌いました)

聖書の世界(旧約・新約)は、神と人間とは、別次元の存在であり、
神はいつも愛に満ちているかもしれないけれど、上から目線なような気がします。
(つうか、人間を創造されたのが神)

カムイ、カミ、神というものは存在すると信じて生きてきましたが、
宗教は嘘でできていると、高校生のときに悟りました(笑)
(支配者層に都合のいいように捏造されている?)

【すべてのものは平等…というアイヌの世界観、僕は大好きです】

カムイとアイヌ(神と人間)の本来の関係は、こうあるべき、 いや、こうだったのではないかと思ってます

この星の上には、いろんな人がいて、
カムイやらカミやら神やら、やらやらやら…がいます。

人それぞれ、考える事、感じること、思うことは、
違っていてもおかしくはないし、皆が同じである必要もないけれど、
今の僕は、アイヌの世界観を、もっと学習して、
自分の内なる世界に…腑に落としていきたいです。

アイヌ絵本4「白い犬の水くみ」
https://www.youtube.com/watch?v=3qyHeZ7M50M

アイヌ絵本1「スズメの恩返し」
https://www.youtube.com/watch?v=ePAyWH-fXEQ

PEACE








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