SSブログ
布哇通信: HAWAII journal ブログトップ
前の10件 | -

アイヌによるハワイイ・ホクレアへの祝福(カムイノミ) [布哇通信: HAWAII journal]

2007年6月16日、横浜のぷかり桟橋に停泊中のホクレアを、
アイヌの代表団が訪れ、カムイノミを行ない、
ホクレアを祝福してくださいました。

ホクレア側からは、
カイウラニとカニエラさんとレイトンさんがこの儀式に参列しました。
他のメンバーは同時刻に、クルーによる別な講演会があって、
そちらへ行ってしまったのですが、
個人的にはクルー全員に参列してほしかったです。
(サムとカイウラニのお母さん&おばさん&おばあちゃんも、
カムイノミの会場にいました)

写真は、アイヌの民族衣装を身を包み、
「イナウ(inaw, inau)」を手にしたカイウラニ・マーフィー…

282963_447042658648086_1280846336_n-400x266.jpg

Photo by Jin Takuma
(琢磨仁さん&啓子さんご夫婦には、大変お世話になりました。 ありがとうございました。)

アイヌの儀式「カムイノミ」(その4)~アイヌの祭具「イナウ」~
http://goo.gl/zZTrHr [アイヌ民族文化研究センター]

この「イナウ」、カムイノミの後に、
(かつての、アイヌのイタオマチプのように)
ホクレアの船首側のマストのロープに取り付けられました。

イタオマチプ(itaomacip)
http://goo.gl/UeXFwQ [札幌市]

横浜最終日、6月20日の解体時、
「イナウ」はカイウラニが手に持っていたので、
ハワイイまで持って帰ってるはずです。

521333_449929155026103_1308591759_n-1-400x266.jpg

Photo by Jin Takuma

ホクレアが横浜の海に浮かんでいた間(6月9日~20日)
たくさんのイベントがあったのですが、

【カムイノミが、一番印象深かったです】

この日に、ここにいなければ、
僕と、アイヌとのつながりはなく、今、トンコリも弾いてない?
2007年の6月16日、ちょうど、僕の誕生日の翌日であり、
新しい人生のの扉が開いた、忘れられない一日であったと、今でも確信しています。

エディ・アイカウを追いかけて、ホクレアをサポートしていたら…

最終寄港地の横浜でアイヌに出会い、
2008年から、沖縄でOC-1を漕ぐ生活にシフトし、
2010年から、三線を放り出して、トンコリを弾くようになりました。

2007年のホクレア日本航海、
僕の人生に大きなターニングポイントを与えてくれました。

487883718_228.jpg

Photo by Toshi

この写真は、カムイノミが始まる前に、僕が撮ったものですが、
カイウラニと島田あけみさんの頭上に、謎の光が?

山下公園での、クルー&サポーターのパーティーでは、
琢磨仁さんの撮った写真は、オーブだらけ?

今思えば、この星の上で、ご縁がある方々との
魂と魂の出会いの時間を過ごさせてもらえたことに、
ただただ、感謝の気持ちでいっぱいです。
(ホンマに、濃ゆい時間やったわ~)

MAHALO & イヤイライケレ

PEACE


ホクレア&カマヘレが停泊していた糸満漁港 [布哇通信: HAWAII journal]

2007年4月24日午前1時過ぎから、29日の午前9時過ぎまでの間、
ハワイイのホクレア&カマヘレが、糸満漁港に停泊していました。

ホクレア号 エイサー、フラで歓迎 糸満漁港
http://ryukyushimpo.jp/photo/prentry-23300.html
[琉球新報]

741480861_36-400x300.jpg

741480861_74-400x300.jpg

IMAGE_333-400x300.jpg

Photo by Toshi

ちなみに、到着した夜中に、三線を弾いていたのは僕です。
「加那よー」という琉球民謡の、
うたもち(イントロ)をひたすら繰り返していたのですが、
やや、チンダミ(チューニング)がズレてました…(汗)

あの夜は、沖に見える、ホクレア&カマヘレと思われる灯りが、
近づいてくるのを長時間、ずーっと見ていたのですが、
ホクレア&カマヘレは、ワープしたかのように、
闇の中から、突然、視界の中に現れました。

ホクレア&カマヘレと初めて遭遇した時の様子は、
今でも、脳の中にしっかりと記憶されています。

2015年の現在、ホクレア&カマヘレが停泊していた岸壁は、
綺麗にリニューアルされたのと、間仕切りのような壁ができて、
ダイレクトに外洋を望めなくなっています。
(台風時の安全面は今の方がベター?)

僕が、座って三線を弾いていた場所からは、
ホクレア&カマヘレが入ってきたルートを見ることはできなくなりました。

【2007年の、あの時の面影は、今の糸満漁港にはありません】

index666-400x240.jpg

Photo by Toshi

【空撮】糸満漁港 沖縄県糸満市潮崎から in Itoman-city Okinawa
https://www.youtube.com/watch?v=KxITj2KUcqs
●Powered by SeabirdzStudio1

【空撮】美々ビーチ (沖縄県糸満市) BIBI-BEACH ITOMAN OKINAWA
https://www.youtube.com/watch?v=sT2KjtZZpnU
●Powered by SeabirdzStudio1

2008年から、この海で遊んでます。

このあたりは、すぐ沖にリーフがあって、
うねりがある日は、サーフィンには不向きだけど、
カヌーサーフィンにはバッチリな海です。

ドローン空撮の動画、ものすごく海が綺麗なんですが、
実際、綺麗です(笑)
でも、ビーチは、ほとんど人工物…
沖縄本島、圧倒的に人工ビーチだらけ?

あと、糸満は西に面しているので、沈む夕陽&夕焼けが超綺麗です。

沖縄県 美々ビーチいとまんの夕陽
https://www.youtube.com/watch?v=ih23-URIadk
●Powered by HealingJapanTV

877921543_26-400x300.jpg

Photo by Toshi

PEACE


未来を改造する秘訣と手順 ~『カフナの秘法・実践編』より~ [布哇通信: HAWAII journal]

付録
未来を改造する秘訣と手順をおさらいしましょう

(1948年2月号のフナ・ニューズレターからまとめています。訳者)

実生活に問題を抱えている人がほとんどなので、私はハイマジック(訳注:ハイセルフに働きかけるフナの技法。高等呪術)に取り組むことをまずお勧めします。人生をよりよいものにしていただきたいと思います。フナの実験の第一段階として、まずは正しい健康と経済など、全般的にな改革を実現していきたいと思います。私たちの経験を一つにすれば、フナ復元プロジェクトをいっそう推進できるでしょう。

未来の大部分は不完全な地図のようです。自分の行く場所もはっきりしません。アウマクアは願いや恐れの念から毎日未来を作っているので、地図は曖昧な線だらけです。病気、事故、恐怖の現実化を示すシミも方々にあります。
…………

一度決断したら、変えてはなりません。それを最終決定とします。未来地図を作っているのですから、実現したいことを変えてはなりません。

明確な目的に向って、着実に、全力で突き進みます。後で地図に加筆するとしても、基本を変えてはなりません。そうしないと混乱します。

「私は____になりたい。私は____をしたい」と自らに言い聞かせ、それを徹底させます。

未来を作り出し現実化する時間をアウマクアに与えます。あとは、アウマクアの自由に任せるだけにして、望む結果を得る方法まで具体化してはなりません。
…………

アウマクアに助けてもらうには、彼らに少し近づく必要があります。新設で、寛容になり、進んで他の人を助けなければなりません。

W.R.スチュアートは、自分だけのためにする祈りは、自分と人のためにする祈りと較べて、結果が出にくいことを知りました。ルルドの聖地でも他のために祈った人が最も癒されています。人のために祈るときには、彼らのハイセルフにも呼びかけているのです。

10人のために祈れば、信じがたい力と知恵があなたに加勢します、人類救済に手を貸すために祈れば、ポエ・アウマクア全体が耳を貸すでしょう。アウマクアの名の下に行ったどんな小さな行いも、行いに応じて祝福されます。

ダウンロード.jpg

『【ハワイアン超スピリチュアル】 カフナの秘法 実践篇 本邦初公開「上級ホ・オポノポノ」付き (超★スピ)』

マックス・F・ロング著 林陽訳 より引用

ポエ・アウマクア(Po'e Aumakua):偉大な聖団

この本には、「上級セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノ」の、

”自力で問題を解決してゆくための12ステップ”

が書かれています。

「上級セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノ」は、
1970年代に、モーナ・ナラマク・シメオナ女史と、
オサ・ウィンゴ博士(元ミズーリ大学言語学教授でフナ研究所前代表)が、
マックス・F・ロング氏の研究に基づいて、共同開発したもので、
1980年に詳しい式次第がまとめられました。

ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛してます

と唱えることだけが、SITHの全貌ではありません。

この4つのフレーズの繰り返しは、非常に強力で、
オールラウンドに効果を発揮しますが、
より具体的にな問題解決のためには、
「上級セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノ」の

”自力で問題を解決してゆくための12ステップ”

の学びが必要なんじゃないかなって、僕は思います。
(次のステージへ進むための、より具体的なメソッド)

まず、自分の心の中を平和にします。
それが、世界平和への第一歩であることは間違いありません。
過去は変えられません。
現在は流れ去ります。
しかし、未来は形成するためにあります。
古代の偉大なカフナとともに、

「見よ、私はすべてを新しくする!」

と宣言しましょう。

『【ハワイアン超スピリチュアル】 カフナの秘法 実践篇 本邦初公開「上級ホ・オポノポノ」付き (超★スピ)』

マックス・F・ロング著 林陽訳 より引用

ちなみに、この本、2016年現在の時点で、絶版になっていますが、
『ホ・オポノポノ奇蹟の原点 カフナの秘法 (超★スピ)』

と合わせて、

『原典 ホ・オポノポノ―癒しの秘法 (bio books)』

として、現在は提供されています。

Sacred Mountain - Mauna Kea, Hawaii
https://www.youtube.com/watch?v=cUSVUQK9Bq4

Kapu System - "Ku Kiai Mauna"
https://www.youtube.com/watch?v=gNpcEl-nfuo

Kapu System in Moloka'i
https://www.youtube.com/watch?v=dW7oy3LYMnQ

 

人のために祈る


仏教の勤行のお次第の最後には、回向というのを唱えて、
今の祈りの功徳を、自分だけのものにするのではなく、
他者へ、縁あるものすべてへ向けるように意識します。
回向することで、祈りは、完結します。

願わくば この功徳をもって あまねく一切に及ぼし 
我らと衆生と 皆 共に仏道を成ぜん(ことを)

回向の意味と理由
https://www.youtube.com/watch?v=5F69GCDcpGM

PEACE


エジプト、日本、世界へと広がったハワイイのカフナ12部族の秘儀 [布哇通信: HAWAII journal]

訳者まえがき
エジプト、日本、世界へと広がったカフナ12部族の秘儀

カフナの伝える宇宙創造と人類の発祥と太古史を見てみましょう。ホ・オポノポノの創始者モーナ・シメオナにカフナの秘密の写本を託したL・メルヴィルの記録を要約します。

はじめに、すべての生命の萌芽を秘めた火の魂がラー(Ra:太陽)から飛び出しました。火の魂は、ケ・アクア(神)の精神と意志と力に誘導されて、ついに軌道に落ち着き、回転し始めました。徐々に冷える過程で磁場が発生し、それが雨を降らせて熱い大地を冷やし、生命を繁殖させました。

ハワイ(Hawai-i:水で清めて)は。この恵みの雨から付けられた名前です。それは「清めによって生まれた最初の大地」という意味です。この原初の大地は、Rua(火からの生成)とも、Tahiti-Na(静かなら暁)とも呼ばれました。タヒチの名はここに由来します。

この原初の地に40の惑星から来た黄色の神と赤金色の肌をした神々が降臨します。太陽の女神ナナ(Nana)の命により、ラーイラーイ(Ra'i Ra'i)人類の創造を担当し、人類は「ポーの生命の木」(神々の天上界)の枝となって開花しました。

しかし、母なる大地は4つの人類を産み終えて死にます。活火山が連続的に噴火して、最高峰だけを海上に残した大部分が海中に沈み、生き残った民族は世界各地に移り住みました。

ロング氏がその後の歴史をたどっています。エジプトに移民したカフナ12部族は、呪術の力によってピラミッド文明を築きますが、後の時代に情勢が悪化し、最高の宝(呪術の秘密)を守るために、国を脱出して祖国に変える長旅を開始しました。

1部族はアフリカに残り、1部族は途中で紅海からマダガスカルに移民し、残る10部族がインド洋経由で各地にフナを植え付けながら、最後にポリネシアにたどり着きました。

私は前の本で、カフナ10部族の船団が祖国に帰還する途中で、日本にも渡来して、古神道の呪術の基礎を据えたと書きました。本書の至る所にその傍証が見つかります。

10部族の秘儀は10種の神宝、水による清めは禊、暗示と物理的刺激は笛や太鼓や拍手、遠隔治療は神主による病気平癒祈祷、ティーリーフによる祓いは榊による修祓(しゅばつ )と、面白いほど対応しています。マナを過充電する方法は「振魂(ふりたま)」として日本独自の発展を遂げたようです。

これは偶然ではありません。ロング氏にフナの研究を託したハワイ・ビショップ博物館のブリガム博士によれば「和歌山」という地名は船団を組んでハワイに戻ってきたワケア神から取ったものだそうです。

記紀の記録もそれを傍証しています。和歌山は呪術と医療の基礎固めをしたスクナヒコナ神が南海に旅立った場所でした。

ダウンロード.jpg

『【ハワイアン超スピリチュアル】 カフナの秘法 実践篇 本邦初公開「上級ホ・オポノポノ」付き (超★スピ)』

マックス・F・ロング著 林陽訳 より引用

この星の上での、それぞれの民族や国の「はじまり」の伝承というのは、
当然ながら、主人公は、自分たちになります。

ハワイイをルーツとする、カフナは、
一旦世界へ拡散し、再び祖国ハワイイに戻って来るというお話です。

時系列的には、エジプトでのピラミッド建設は、
拡散後に行なわれたことになります。

再び、ハワイイへ戻る途中で、日本にも立ち寄り、
カフナは、古神道の基礎固めをします。
カフナの上陸地点が、和歌山だったということは、
カフナの呪術の影響を、最も受けたのは、熊野?

僕は、世界中の呪術を知っているわけではないけれど、
人生のある時期、修験道の世界の扉を開け、中に入っていました。

修験道は、密教やら陰陽道やら、やらやらやら…

多様な呪術のメソッドを取り込んだ、山岳を行場とする教えです。

ピラミッドっていうのは、砂漠に人工的に造られ山だと思います。
400px-EgyptianPyramidsandSphinx2006.jpg

スフィンクスから見たカフラー王のピラミッド

エジプトのピラミッド -Wikipedia より引用

熊野は、カフナにとっては、彼らの呪術を伝え、磨きをかける場所としては、
最適な場所だったのではないでしょうか。

弘法大師空海も、山岳での学びから、密教のマスターになり、
和歌山の地に、高野山を開くことになります。

カフナの秘法(秘儀・呪術)は、間違いなく、この国に伝わっていると、
僕は、勝手に信じてます。

[マイハワイ] パワースポットに入る前の祈り「エ・ホー・マイ」
https://www.youtube.com/watch?v=WaMWo1J5HS4

[マイハワイ] ハワイのパワースポット巡り①「ケアイヴァ・ヘイアウ」
https://www.youtube.com/watch?v=nFjw7KvXWVM

[マイハワイ] ハワイのパワースポット巡り「レイの持つ意味」
https://www.youtube.com/watch?v=9Jye2qSpQbE

[Beautiful Japan] World Heritage Kumano Kodo Pilgrimage Routes
https://www.youtube.com/watch?v=eDVHdQgKGWg

丹田意識を高めるための、振魂(ふりたま)
https://www.youtube.com/watch?v=xFLU7ov1oxI

ちなみに、この本、2016年現在の時点で、絶版になっていますが、

『ホ・オポノポノ奇蹟の原点 カフナの秘法 (超★スピ)』

と合わせて、

『原典 ホ・オポノポノ―癒しの秘法 (bio books)』

として、現在は提供されています。

PEACE


ハワイイのホ・オポノポノと日本の古神道の共通点 [布哇通信: HAWAII journal]

訳者あとがき

著書は人間の霊魂を、ウハネ(顕在意識の霊)、ウニヒピリ(潜在意識の霊)、アウマクア(超意識の霊)に三分していますが、これは神道でいう荒魂(あらみたま)和魂(にぎみたま)直霊(なほひ)にほかなりません。本書はこの三つの霊魂の働き、相互関係、扱いについて詳しく説明しています。

古神道の書籍は昔の言葉で綴られていて、理解が極めて難しく、実行においては口伝が中心にあるため、一般人が生活に生かすのは困難です。本書はその欠落部をうまく満たしているので、神道霊学を現代的に理解するのに役立ちます。

呪術の面でも、カフナと日本の陰陽師は驚くほど一致しています。本書で詳しく紹介されている「死の祈り」は、いわゆる「管狐」(くだぎつね)を使う日本古来の呪殺の方法とそっくりです。呪術の本では、竹筒の中で飼育する「野狐」(やこ)と呼ばれる霊を操るとされていますが、本書によれば、それは動物霊ではなく奴隷にされた人霊で、彼らを説得して送り返す方法も書かれています。
…………

ピラミッドの建造者がカフナの先祖だったという話は古代史の謎を解く手掛かりを与えます。本書によれば、カフナの先祖は堕落したエジプトを離れて、呪術の秘密を守る新天地を探す航海に出ました。紅海、ペルシャ湾、インド洋を経由して、各地にフナを植え付け、最後にハワイにたどり着きました。
…………

「フナ」は日本語でもあります。フナの古体は「クナ」。日本には「クナト」あるいは「フナト」の神の伝説があります。イザナギ神が黄泉の国から地上に戻るときに黄泉の力を封じるために突き立てた杖から化生した神で、クナは「来るな」からきていると日本書紀にあります。ところが、出雲大社の近くにある出雲井神社の社屋(富家)は全く違うことを伝えています。

富家の口伝によれば、原出雲族は祖神クナトにひきいられて四千五百年前に海路日本に渡来し、製鉄、紡績、農耕を教え、各地に国主を置いて治め、大国主神の先祖になりました。これは、エジプトから太平洋に船団を組んで渡来したカフナの伝説の別バージョンと思われます。

スクナヒコ神の伝説もこれにからみます。スクナヒコ(「クナ」に注目)も船に乗って日本に渡来しました。大国主神とともに日本を広く回り、温泉を掘り、種子をまき、医薬と呪術の基礎をすえて、南海に旅立ったと記紀に伝えられています。このスクナ族がハワイに渡ってカフナの祖になった可能性があります。

61nDH0CS2XL._SX337_BO1204203200_.jpg

『ホ・オポノポノ奇蹟の原点 カフナの秘法 (超★スピ)』

マックス・F・ロング著 林陽訳 より引用

著者のマックス・F・ロング氏(MAX FREEDOM LONG:1891~1971 すごい名前)は、
ハワイイのカフナ(呪術師)フナ(秘儀)を科学的に解明しようとした研究者。
1921年に、ホノルルのビショップ博物館館長のウィリアム・タフト・ブリガム博士から、
膨大な研究資料を引き継ぎ、1926年に博士が死去するまで、
ホノルルで、研究を共にされています。

SITHは、創始者であるモーナ・ナラマク・シメオナ女史と、
オサ・ウィンゴ博士(元ミズーリ大学言語学教授でフナ研究所前代表)が、
マックス・F・ロング氏の研究に基づいて、共同開発したもの。

SITHを、より深く学んでいくと、
カフナとフナについての知識が、必須アイテムになってきます。
この本は、そのための最適なガイダンスだと思います

林陽さんの、「訳者あとがき」には、ものすごいことが書かれています。

ハワイイのフナとカフナを、日本の古神道へリンクさせる、
そのセンスの良さには、脱帽です。

スクナ族っていうのは、忌部ではなかったのかな?と僕は思ってます。
(全く、同一のものというよりは、根っ子が同じグループ)

呪術というのは、一つの根っ子から、派生していったものだと、僕は思ってます。
この星の上で、呪術の根っ子になる一つのグループが、
あちゃらこちゃらに拡散しながら、それを広めていったのでは?

その移動手段が、船であり、海を渡る術(航海術)のマスターでもあったというのは、
海洋民族の血が騒ぐお話ではあります。

この本によると、エジプトを出発したカフナの人たちは、太平洋のど真ん中にある、
ハワイイの存在を、あらかじめ、知っていたことになっています。
(すげ~)

ちなみに、この本、2016年現在の時点で、絶版になっていますが、
『【ハワイアン超スピリチュアル】 カフナの秘法 実践篇 本邦初公開「上級ホ・オポノポノ」付き (超★スピ)』

と合わせて、

『原典 ホ・オポノポノ―癒しの秘法 (bio books)』

として、現在は提供されています。

少彦名(スクナヒコ)の語義
http://www.dai3gen.net/sukunahikona.htm

PEACE


古代ポリネシア人たちはどのようにしてハワイイを発見したのか? [布哇通信: HAWAII journal]

4000キロの海の旅
…………

海人たちは西暦700年前後に、最初はマルケサス諸島から、後にはタヒチからハワイ諸島に移り住みはじめた。マルケサス諸島とハワイ諸島の間には4000キロという途方もない隔たりがあったが、彼らはどのようにしてこの、気の遠くなるような距離を克服したのだろう。そもそも、どのようにしてハワイの存在に気づいたのだろうか?ポリネシア人星を利用した航法に長けていたと言われる。北極星南十字星の果たす役割を認識していたので、自分たちがどこにいるかということを確認できたのだ。しかし、目的地が決まっているのなら、それはそれで役立つだろうが、島があるかもしれない、という曖昧な理由だけで数千キロも離れた島を目指すだろうか?海人たちはどのようにしてハワイ諸島を見つけ出したのだろう?

最初の集団がマルケサスからハワイへ渡ったのは5世紀から7世紀の頃だと言われる。海を自分の庭のように操ることができたとはいっても、確かな情報のない島を探すというのはかなりの困難を伴ったはずだ。当時、彼らは海図のようなものを利用していたことが知られている。木の枝や貝殻、石などを利用して自分たちの航路を把握したのだ。世界の島の発見史に見られるように、たまたま難破船が漂流の末に偶然ハワイ諸島のどこかに流れ着いたのだろうか?航路を知っている現在でも、伝統航法では1ヶ月以上の日数を必要とする。彼らはたしかにしっかりとした技術に基づいて航海したに違いない。
…………

なぜポリネシア人たちはマルケサスやタヒチを発ち、不確かな情報を頼りに、名も知らぬ彼方の島を目指したのだろう?飢饉や干ばつが続いて住人たちに新天地が必要になったからだろうか?それとも伝染病が蔓延していたのだろうか?戦争に負けて自分たちの領土を譲り渡すことになったのかもしれない。どれもありそうな話だが、おそらくはもっと根源的なものがあったのかもしれない。高度に発達した長距離航海術を背景に、ポリネシア社会には深く探検家精神が根づいていて、海人たちは新世界を目指して旅立ったに違いない。

『歩きたくなるHawaii』 近藤純夫著 より引用

●海人たちの文化 ~「2つの不可能」の克服~
http://kahunatrade.com/blog/hawaii/4796.html

【海人 = 古代ポリネシア人のルーツ】

【地球通信】(当ブログ)で、記述していますが、
今から5、6000年前、中国南部から台湾付近一帯に、海で生計を立てる集団、
「海人」が出現し、彼らが太平洋を島伝いに東へ拡散して行き、
ポリネシア文化の基礎を作り上げます。

 

ポリネシアン・トライアングル(Polynesian Triangle)


yashidai01_img05.jpg

[記念講演]ポリネシア考古学一 ハワイ人のルーツを探る より引用

ポリネシア文化圏は、西はアオテアロア(ニュージーランド)、
東はラパヌイ(イースター島)、そして、北はハワイイを頂点とする、
太平洋上の三角形の広大な領域です。

面積はヨーロッパの約3倍、ハワイイとアオテアロアの距離は約8000キロ。
(これは北京とロンドンの距離とほぼ同じです)

太平洋上に、ポリネシア文化圏が出来上がるプロセスは、
やはり、冒険心というか、探検心というか、
人間が持っている本能の一つが、大きく働いたと思います。
(それしかない)

海の上の移動は、陸の上での移動とは違い、
性能の高いカヌーや、航海技術が必要です。
拡散のプロセスでは、行方不明のカヌーも、たくさんあったと思います。
slider_Discovery-of-Hawaii-0-546x420.jpg

HISTORICAL EVENTS
Discovery of Hawaii

Herb Kawainui Kane / A Visual Collection of Hawaiian History より引用

The Art of The Tautai: Polynesian Wayfinder
https://www.youtube.com/watch?v=joP-v7NxQZU

Walk Story: Nainoa & Ka’iulani "Wayfinders" - Video Series 1.1
https://www.youtube.com/watch?v=S9PsfV1oLPM

Voyagers Official Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=2aFSrrXBdFI

Voyagers: The First Hawaiians (on BITV)
https://www.youtube.com/watch?v=z04AZOqzCKE

Life On The Voyaging Canoe Makali`i
https://www.youtube.com/watch?v=-x3ZEWxzqkg

2000px-Royal_Coat_of_Arms_of_Hawaii-400x331.jpg

UA MAU KE EA O KA AINA I KA PONO

「大地の命は正義の中に永続する」

Hawai'i 78' - (With Lyrics) and the (Correct Chorus Lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=5ZOAiSP1MGs

PEACE


海人たちの文化 ~「2つの不可能」の克服~ [布哇通信: HAWAII journal]

今から5、6000年前、中国南部から台湾付近一帯に、海で生計を立てる集団が出現した。海人と呼ばれる人たちだ。彼らは島々の特産物を小さなカヌーに積み込み、海を行き来して交易を行った。訪れた島々では異なる言葉が交わされていたので、海人たちは取引に必要な言語を作り出した。物資をやりとりすることで、言葉だけでなく文化の一部をも、交易相手である島々と共有していった。彼らの交易範囲が拡大していくと、共有する文化圏も拡大し、海で生計を立てる海人集団は島伝いに独自の文化を発展させ、この文化が後のポリネシア文化の土台となっていった。
…………

サモアに到達した人々は、今日のポリネシア文化の基礎とも言える文化を創り上げた。その後、彼らはニウエ島トンガクック諸島などを経てタヒチマルケサス諸島に至り、この地域に定住した。それだけの時間を要しても、当時のカヌー制作は5000年以上前に南アジアで発生した原型のカヌーと大きな違いはなかったらしい。ただし、航海術は飛躍的に進化した。彼らは「2つの不可能」を克服したからだ。

ひとつは長距離移動の技術を修得したこと。それまでのカヌーは、目視できる島から島への移動が基本だった。しかし、氷河期が終わって地球が温暖化し、海面が上昇すると、島と島の距離は再び遠くなってしまった。それまでの航海術が役に立たなくなりはじめたのだ。そこで彼らは交易の効率を上げようとした。船体を細くし、それを2艇つないだダブルカヌーの考案もそのひとつだ。この結果、スピードを維持しつつ、積載量を増すことに、彼らは成功した。

不可能を可能にしたもうひとつは、風上に向って進む「タッキング」という技術を修得したことだ。それまでは、至近距離の場合は風や潮流に逆らって漕ぐという腕力まかせだったし、中距離の場合は、行きは海流に乗り、帰りは順風に乗って戻るという、風まかせの方法しかなかった。タッキング技術と、積載量の多い船を手に入れたことで、彼らは未知の世界を発見する可能性を飛躍的に高めたのだった。

『歩きたくなるHawaii』 近藤純夫著 より引用

553px-Polynesian_Migration.svg_-546x546.png
ポリネシア人の移住ルート

ポリネシア -Wikipedia より引用

アウトリガーカヌーは、基本的に、
1人乗り、2人乗り、4人乗り、6人乗りも、ほぼ同じボディー幅です。
人間が、一人座れるぐらいの幅しかなくて、
縦一列に、クルーが座るデザインになっています。

ボディー幅がないと、不安定でひっくり返りやすいので、
アウトリガーを付けて、転覆のリスクを50%に抑えていますが、
当然、アウトリガーがない方へは、簡単にひっくり返ります。

両方にアウトリガーを付けたらええやんか…

って思うのが普通ですが、
両側にあると、真ん中の船体が宙に浮くケースが発生し、
アウトリガーを支えている部分に負荷がかかり、破損します。

だもんで、片側に(基本は左側)にアウトリガーを付けます。
アウトリガーのある左側から、乗り降りすれば、カヌーはひっくり返りません。

縦一列にクルーが並ぶことで、漕ぎが、右側と左側に分かれることができます。

先頭が右側を漕いだら、2番目は左側を漕ぎ、3番目は右側を漕ぐ…

例えば、10回漕いだら、声を掛けて、
全員同時に、左右の漕ぎをスイッチします。
これって、漕ぎの動作に、かたよりがなくて、
身体には左右均等の負荷がかかるので、健康的?
(かたよった疲れ方をしない)

兎に角、アウトリガーカヌーは、スピードが出ます。
(僕は、その圧倒的なスピード感にハマッテます)

Kai Elua Outrigger Canoe Club "Flying Canoe Cam"
https://www.youtube.com/watch?v=HAHE5ooUHMI

Outrigger Connection - Light Weight Mirage OC6
https://www.youtube.com/watch?v=TavsweomgwQ

Outrigger Connection Ama Flying Mirage
https://www.youtube.com/watch?v=DtBr8vBbp1


ダブル・カヌー


古代ポリネシア人が用いた航海カヌーは、特に東ポリネシア海域では2つの船体を並べてその間にデッキを張った双胴船であったと推測されているが、域外ポリネシアではシングル・アウトリガー・カヌー形式の航海カヌーも使用されており、ポリネシアの航海カヌー=ダブル・カヌーではない。

ポリネシアで発明されたと推測されている航海技術には、ダブル・カヌーの他にクラブクロウ・セイルがある。これはラテン・セイルの ような直線的なブームではなく、カーブを描いたブームをマスト下部から上方に向けて装着したもので、そこにカニの爪のような形状の帆を張ることからこのように呼ばれる。近年の研究では、クラブクロウ・セイルはラテン・セイルと同等以上の風上帆走能力を持つことが確認されており、古代ポリネシア人の遠洋航海、特に西ポリネシアからタヒチやテ・ヘヌア・エナナへと貿易風に逆らって航海する際の強力な武器になったのではないかと考えられている。

doublehal-546x346.jpg

双胴船とクラブクロウ・セイル

ポリネシア人 -Wikipedia より引用

IMAGE_364-400x300.jpg

IMAGE_065-400x300.jpg

上がクラブクロウ・セイルで、下がラテン・セイル
(ホクレアは2007年の日本航海では、両方使ってました)

Photo by Toshi

2007年6月9日は、ラテン・セイルで三崎港を出港したのですが、
途中でクラブクロウ・セイルに交換しています。
(横浜港入港時には、クラブクロウ・セイルでした)

ホクレア号(Hokule'a )横浜ベイブリッジ下を通過
https://www.youtube.com/watch?v=zTai70gSBG0

PEACE


ハワイイの「メネフネ」とアイヌの「コロボックル」 ~虹の色数~ [布哇通信: HAWAII journal]

いたずら好きの小人 メネフネ

カウアイ島の働き者の小人たち

メネフネは、カウアイ島に住んでいたといわれる伝説上の小人の一族のことです。身長は約80CMくらいで、筋肉隆々の体格をしていたといわれています。彼らは、昼は休み、夜にこっそり働くので、人間にその姿を見せることはありません。朝になったことを告げる雄鶏の声がすると、作業を放り出して姿を消すそうです。その理由は、人間に働くところを見られるのが嫌いだったという説や、臆病な性格だからだという説もあります。しかし、性格は陽気でいたずら好きだと伝えられています。メネフネはハワイの人々に親しまれており、今でもハワイでは何かがなくなったり、不思議なことが起こると「メネフネの仕業だ」と言うこともあるそうです。

メネフネに関して諸説があり、タヒチのほうから移住してきた人々であるとも、ハワイ先住民であったがカヒキへと去って行った人々だともいわれています。また、実際に体が小さかったわけではなく、少数民族だったことから、「小さな人々」という言い伝えに変わっていったともいわれており、多くの謎が今でも残されています。

カヒキはタヒチ、または外国という意味

『マナとアロハがよくわかる ハワイアン・スピリチュアル入門』 アロヒナニ著 より引用

カウアイ島西部、ワイメア川に沿って約42キロも続く、石造りの水路の一部が残っており、
「メネフネ」たちが作ったといわれているので、”メネフネ・ディッチ”と呼ばれています。

ぶらり旅ハワイ:「 メネフネ ディッチ 」と ワイメア スインギング ブリッジ Menehune Ditch ( Kiki a Ola ) . Waimea Kauai
https://www.youtube.com/watch?v=s3fVyg26Ah8

ハワイイの「メネフネ」に非常によく似た存在が、アイヌの「コロポックル」?

アイヌがこの土地に住み始める前から、この土地にはコロボックルという種族が住んでいた。彼らは背丈が低く、動きがすばやく、漁に巧みであった。又屋根をフキの葉で葺いた竪穴にすんでいた。

彼らはアイヌに友好的で、鹿や魚などの獲物をアイヌの人々に贈ったりアイヌの人々と物品の交換をしたりしていたが、姿を見せることを極端に嫌っており、それらのやりとりは夜に窓などからこっそり差し入れるという形態であった。

そんなある日、あるアイヌの若者がコロボックルの姿を見ようと贈り物を差し入れる時を待ち伏せ、その手をつかんで屋内に引き入れてみたところ、美しい婦人のなりをしておりその手の甲には刺青があったという(なおアイヌの夫人のする刺青はこれにならったものであるといわれている)。

コロボックルは青年の無礼に激怒し、一族を挙げて北の海の彼方へと去ってしまった。以降、アイヌの人々はコロボックルの姿を見ることはなくなったという。現在でも土地のあちこちに残る竪穴や地面を掘ると出てくる石器や土器は、彼らがかつてこの土地にいた名残である。

Sakaiminato_Mizuki_Shigeru_Road_Koro-pok-guru_Statue_1-400x533.jpg

水木しげる
ロードに設置されている「コロポックル」のブロンズ像。

コロポックル -Wikipedia より引用
(コロポックルでもコロボックルでも、どっちでもOKみたいです)

背丈が小さかったり、夜型だったり、人間に姿を見せるのを嫌がったり、
最後はどこかへ去って行ったり…

ハワイイの人たちと、アイヌの人たち、距離的には、かなり離れてるのに、
非常によく似た言い伝えがあるのは何故?

世の中、わからないことばかりじゃない?

【虹の色を何色とするかは、地域や民族・時代により大きく異なる】

虹を作ったメネフネ

ハワイの虹は七色ではなく六色

昔、 ハワイには虹がなく、雨が降るとどんよりとした空になるだけでした。そこで、陽気なメネフネたちは虹を作ることにしました。赤い色はカヒリ(鳥の羽根で作 られた王家のシンボル)の羽根からもらいました。オレンジ色はイリマの花から、黄色はバナナ、緑色はシダの葉、青色は深い海から汲んだ水、紫色は女王様の ドレスから調達しました。メネフネたちはこれらの材料をコアの木の器に入れました。そこにカフナ(専門家)がやってきて、材料をゆっくりと混ぜると虹がで きました。今もハワイでは虹の色はこの6色だといわれています。

『マナとアロハがよくわかる ハワイアン・スピリチュアル入門』 アロヒナニ著 より引用

実は、虹の色数は、7つではないケースは多々あるようです。
(全然、知りませんでした)

ニュートンの時代のイギリス:赤黄緑青紫の5色
●ニュートン:橙色と藍色を加えた7色
●日本:5色(古くは8色や6色)
●沖縄:2色(赤、黒または赤、青)
●中国:古くは5色

なお現代でも、かつての沖縄のように明、暗の2色として捉える民族は多い。
…………

虹の色が何色に見えるのかは、科学の問題ではなく、文化の問題である。何色に見えるかではなく、何色と見るかということである。

-Wikipedia より引用

ちなみに、虹は、太陽の出ている方角の、反対側に出現します。

CA3B0826-400x300.jpg

Photo by Toshi

写真は、名護で撮影した「端から端まで見える虹」
(沖縄の虹は2色?)

美しい虹
https://www.youtube.com/watch?v=h1L7Q4YJHps

Rainbow:偶然現れたハワイの虹!
https://www.youtube.com/watch?v=WdUgPnTgHZk

NO RAIN NO RAINBOW

PEACE


ハワイイのカフナという存在 ~日本語とハワイイ語の共通点~ [布哇通信: HAWAII journal]

カフナの奇跡

太古の時代、カフナ(kahuna)が天候をコントロールし、未来を予見し、病人を即座に癒やし、死人までもよみがえらせることができる魔術を鍛錬していたことを知っていましたか?鮫が人を襲うのをやめさせたことを知っていましたか?彼らがどうしてそんな魔術を操れるのか不思議に思いませんか?その魔術を知りたいと思いませんか?

カフナの規則は、200年前から尊敬と興味をもって、今日まで受け継がれています。

まず、フナ(Huna)とは何かを理解する必要があります。フナは宗教というよりは、むしろスピリチュアルプラクティス(霊的鍛錬)です。日常生活でカフナが鍛錬する知恵に対してつけられた名前なのです。それは、達成の哲学であり、あなたが日常生活の中で成し得たことを意味するのです。ハワイ語でカフナとは「隠された、もしくは目に見えない」という意味です。隠された知識や秘密の真実を指し、それらは表面からでは見ることが困難です。昔は、カフナになるためにおよそ20年もの時を要したそうです。

カフナという言葉は、もともとは、鍛錬し教えを請うための秩序に従う人を指す言葉でした。カフナは今も昔も、スピリチュアルリーダー、芸術家、工作家、医者、法律家、教師、そしてこの世界に知恵を授ける政治的アドバイザーなのです。

言葉はかつてそのカフナにとって特に重要でした。なぜなら彼らは、言葉の中に彼らの鍛錬の秘密を隠していたからです。ハワイ語のコードシステムは、私たちの細胞記憶の中に届くほどとてもパワフルです。 (ハワイ原住民は、言葉にネガティブな単語を一つも持っていませんでした。信じられますか!)。ハワイ(Hawaii)という単語を紐解いてみると、次のようなことが見えてきます。「Ha」は息を表します。「Wai」は水、「i」はスピリットを表します。ですから、ハワイとは最高のスピリット、息、光、そして命なのです。

indexf.jpg

『奇跡の習慣―ハワイアン・マスターが導く』 ソンドラ・レイ著 野崎友璃香訳 より引用

ハワイイのカフナは、言葉を操る存在です…

日本語とハワイイ語(ポリネシア語)には、

「子音で終わる単語」がない

という、え?なにそれ?みたいな共通点があります。
日本語を母国語とする僕には、「子音で終わる単語」という意味がわかりません。
(そんな単語、あるんやろか?みたいな)

この星の上で、「子音で終わる単語」がないのは、 日本語とハワイイ語(ポリネシア語)だけだそうです。

しかも、「f」「v」「r」の音はなくて、「h」「b」「l」になります。
(確かに、下唇を噛むような、ややこしい発音は日本語にはない)

日本には、言霊信仰というのがあって、言葉には不思議な力があると信じられていますが、
ハワイイ・ポリネシアの人たちも、同じような感覚を持っているようです。

「虫の声」を、西洋人は、音楽を聞いて処理するのと同じ右脳でキャッチし、
日本人は、言葉を聞いて処理する左能でキャッチするというお話は有名です。
(ハワイイ・ポリネシアの人は日本人と同じ)

ちなみに、日本語を母国語とする人たちは、
150ヘルツから1500ヘルツまでの音域しか正しく聞こえません。
英語の音域は、2200ヘルツから10000ヘルツまでなので、
日本人が英語を正しく聞き取れないのは、脳の処理機能の違いのせい?
(逆に英語を母国語とする人たち、日本語が正しく聞き取れない)

同じ日本語でも、方言になると、英語ほどではないけれど、
聞き取れない言葉がが多くなる?
(ヤマトンチュとウチナーンチュの間でも多々あると思う)

ハワイイの人たちが話す英語(ピジン・イングリッシュ)は、
日本人には、比較的わかりやすい(聞き取りやすい)のは、
このあたりの、仕組みが影響していると思われます。

自然界の音は500ヘルツ前後なので、日本語を母国語とする人たちは、
他の言語を母国語とする人たちよりは、
自然界の音を聞き取れる耳(脳の処理機能)を持っていることになります。

外国で幼少時を過ごした日本人は、英語型脳になり、
(これは、日系の2世やら3世やら、やらやらを観察すると納得できる)
日本で幼少時を過ごした外国人は、日本語型脳になるそうなので、

【話す言語の性質によって、脳の処理機能がビルドアップされていく】

と考えるのが自然な流れかな、と思います。

聖書にある、「始めに言葉ありき」って、こういう意味なのかもしれない?
この星の上には、処理機能が異なる脳を持った人たちのグループが存在し、
共存しています。
(ややこしいなぁ…だから世界平和が実現しないのかも)

ALOHA

●しーぶん(おまけ)
ハワイアンチャントと、沖縄の「つらね」、どちらも素敵…

[マイハワイ] パワースポットに入る前の祈り「エ・ホー・マイ」
https://www.youtube.com/watch?v=WaMWo1J5HS4

嘉手苅林昌 CD「沖縄の魂の行方」より(1) つらね ~ かいされー
https://www.youtube.com/watch?v=cisL2tYqBbE

PEACE


フラは人生であり、フラは祈りです ~「Aloha! 涙そうそう」より~ [布哇通信: HAWAII journal]

2005年2月20日、TBSで14時から放送された「Aloha! 涙そうそう」。
この日は日曜日で、お仕事お休みだった僕は、
西宮市の自分のお部屋で、リアルタイムでこの番組を見てました。
(偶然だったか、番組の予定をチェックしてたかは覚えてない)

BEGINのことはよく知ってたのですが、
(もちろん「涙そうそう」も、よく聞いた曲で、ウチナーグチバージョンの方が好きでした)

ケアリィ・レイシェルや「カ・ノホナ・ピリ・カイ」のことは全然知らなかったし、
当時は、フラのこともよく知りませんでした。

沖縄とハワイイを、一つの曲・音楽が繋いだというお話には、涙をちびりました。
(三線はすでに弾いてたけど、ハワイイのことは今ほど詳しくなかった)

【フラは人生であり、フラは祈りです】

っていうメッセージは、当時、フラのことをよくわかってなかった僕にも、
ドッカーンって響きました。

当時、僕の中にあった課題、テーマみたいなもの、

●人は何故、祈るのか
●人は何故、歌うのか
●人は何故、踊るのか

を、ハワイイのフラは全て含んでいるじゃあ~りませんか?
チャーリー浜風に)

普通、祈りのスタイルは、静的(static)なものですが、
ハワイイのフラは、自然という神々/カムイを巻き込んだ、
動的(dynamic)なスタイルを持つ祈りであるということを、
僕は、この番組のおかげで認識するようになりました。

フラって、ハワイイの観光用のパフォーマンスじゃないんだ、祈りなんだ…

それから2年後の、2007年のハワイイのホクレア日本航海で、
僕は、「Aloha! 涙そうそう」の制作者である、吉田清継さんにお会いすることになります。

ぶっちゃけ、ホクレア日本航海中は、吉田さんが、
「Aloha! 涙そうそう」という番組の制作者であることには、
全く気づいていませんでした。

ホクレアのドキュメンタリーを撮っている人なんや…

ぐらいの認識でしかありませんでした。
(吉田さん、ごめんなさい)

その後、の吉田さんが制作したホクレア日本航海のドキュメンタリー番組、
「Aloha! 未来」を観ることになるのですが、
まず、え?ってなって、次に、あ!ってなりました。

「Aloha! 未来」のテーマ曲は、BEGINです。
(ものすごく素敵で、ホクレアのことを上手に表現した名曲)

で最後に、そういうことだったのか~って、なりました。
吉田さん、Aloha! シリーズの素晴らしい番組、ありがごとうざいました。

MAHALO NUI

ALOHA! 涙そうそう Part.1
https://www.youtube.com/watch?v=6jVydRQW5yE

ALOHA! 涙そうそう Part.2
https://www.youtube.com/watch?v=y2HNtN3-pkk
[0:45] フラは人生であり、フラは祈りです

ALOHA! 涙そうそう Part.3
https://www.youtube.com/watch?v=DUA9o22aDsQ

ALOHA! 涙そうそう Part.4
https://www.youtube.com/watch?v=-bVQr9gqEGs
[2:23] 仕事がいい…

ALOHA! 涙そうそう Part.5
https://www.youtube.com/watch?v=yVc0CrvgsSI

ALOHA! 涙そうそう Part.6
https://www.youtube.com/watch?v=T5S9-QpfKaw
[0:07] 「カ・ノホナ・ピリ・カイ」Ka Nohona Pili Kai

2005年のメリー・モナーク・フェスティバルでは、
KAMUELAが、ケアリィ・レイシェルをゲストに迎えて、
「カ・ノホナ・ピリ・カイ」Ka Nohona Pili Kai で演技してます。

沖縄のBEGINの曲が、ハワイイのフラの大きな大会で、
超一流のチームに使われる…

これって、すごいことだと思います。
(やっぱ、音楽って、魔法?)

Merrie Monarch 2005 - Hula Halau O Kamuela - Wahine 'Auana
https://www.youtube.com/watch?v=YR0KgQQRKqo

話、ちょと脱線しますが、
yairi_ichigo_5-400x254.jpg

K.ヤイリギターの販売(K.Yairi)【ガッキコム】 より引用

BEGINが考案した一五一会(いちごいちえ)という楽器を造っている、
岐阜県可児市にあるヤイリギターさん、すごい楽器メーカーです。
製造過程で、楽器に一定期間、大音量の音楽を聴かせる工程があります。
(職人さんたちも、みなさん、素晴らしいオーラを放ってます)

ヤイリギターができるまで
https://www.youtube.com/watch?v=cfwYYRPa_Wg
[6:46] STEP14 Seasoning

PEACE


前の10件 | - 布哇通信: HAWAII journal ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。