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『先住民族アイヌの現在』~「民主主義」という言葉の意味について~ [愛奴通信:AINU journal]






ここで、「民主主義」という言葉の意味について、私なりにというか、先住民族であり少数民族の一人として本気で考えてみようと思います。

その理由でありますが、仮に、仮にです。100年昔に北海道に大和民族といいますか、日本人が数万人暮らしていて、北海道の隅から隅まで日本語で名前をつけてあったとします。そこへ北の隣からロシア人というか、ソビエト社会主義共和国連邦の人々がどかどかと入ってきて、先住者であった日本人に一言の断りもなしに、ここはいいところだとばかり次から次と仲間を呼び、あるいは人口が自然に増えて、100年後には日本人は数万人で少しも増えずに、後から来たロシア人が5百数十万になってしまった。そこで、先住者の日本人は、地名は日本語であり、数が少ないとはいえここは日本の国だ、出て行けとは言わないが、年貢ぐらいは出せと言うでありましょう。昭和63年現在、アイヌが置かれている日本人との力関係はそのようなものなのであります。そこへいくと民主主義なるものは、後から来た者であっても数さえ多ければ、先住者・先住民族のアイヌの権利などは無視して、アイヌが何を言っても、国は、道は、市町村は、アイヌの願いや訴えに耳をかそうとしないのであります。数や力で決められる民主主義なるものは、数の少ない先住民族、アイヌ民族に言わせると全くと言ってもいいほど頼りにもならない、数の暴力に見えて仕方がないのであります。それは、私一人だけの考えではなしに、世界の先住民族、そして少数民族アイヌの悩みでもあります。したがいまして、少数民族アイヌにも役に立つ本当の民主主義、つまり数や力で、アイヌに断りもせず勝手に制定された何々法というのではなく、先住民族であるアイヌ族の言い分をも十分に斟酌(しんしゃく)した、つまり聞き入れてくださる収容委員会であってほしいと思うのは、私一人ではないと思うわけであります。本当の民主主義とは、少数者の意見も生かすことではないでしょうか。

(”萱野茂氏の陳述”より抜粋)

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『先住民族アイヌの現在 (朝日文庫)』 本多勝一著 より引用

これは、アイヌの土地をダム建設のため強制収用しようとする開発庁側に対し、
二風谷のアイヌ民族のなかで最後まで買収に応じなかった萱野茂さんが、
1988年2月15日に札幌で開かれた北海道収容委員会の審理に出席した時に、
陳述した内容の一部です。
(買収に応じなかった、萱野茂さんと貝沢正さんの二人が出席しています)
収用委員会(しゅうよういいんかい)とは、地方自治法に基づき都道府県に置かれる行政委員会で、その職務は、土地収用法の定めるところにより、土地収用に関する裁決その他の事務を行う。

収容委員会 -Wikipedia より引用

萱野茂・貝澤正両氏の陳述の全文は、
本多勝一さんのこの本で、初めて紹介されました。

萱野茂さんの、「民主主義」…のくだりは、
アイヌだけでなく、世界の先住民族にもあてまる問題だと思います。
(ネイティブ・アメリカンやネイティブ・ハワイアンや…)

「数や力で決められる民主主義なるものは…数の暴力…」

という表現には、僕の脳の中の神経回路が一旦パンクして、
新たに再構築されたのでは?と思うくらいのショックをうけました。
シナプスの繋がり方が変わった?)

民主主義というシステム対しての考え方が、
根底から完全に崩れ落ちたって感じです。
(民主主義と資本主義に関して、僕なりの整理がつきました)

【バビロンシステムは、民主主義の中にも存在している】

あるダムの履歴書:二風谷ダム(6)
https://www.youtube.com/watch?v=xnRerCWWsyc
[4:02] 裁判での萱野茂氏のアイヌ語でのスピーチ

「北海道」は、松浦武四郎さんが名付けたものですが、
アイヌの言葉では、「アイヌモシリ(人間の静かなる大地)」と言います。

アイヌモシリ ~アイヌ民族の誇り~
https://www.youtube.com/watch?v=4ZgCa4Vnj8s

この本は、父が亡くなった後に、父の本棚の整理中に見つけた本で、
今でも大事に持ってます。
(沖縄まで持ってきてます)

PEACE








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