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登川誠仁 の「戦後の嘆き」が生まれたいきさつ [琉球通信:OKINAWA journal]






「戦後の嘆き」は、あるウチナーンチュの元兵隊さんのことを思い浮かべて作った歌です。

私がコザに来た時ですから、1950年代も終りの頃です。この人は国頭の人で、酒場で知り合った兄さんでした。この人は15、6くらいから本土に渡って働き、むこうで招集も受けたそうです。だから親の顔も沖縄も、ずっと見ていなかったんだろうと思います。

戦が終って兄さんは沖縄へ復員してきました。彼も命からがらの状態です。ところが沖縄は壊滅状態、たくさんの人が死んで、自分のシマへ帰っても親兄弟もいなかった。彼は絶望のどん底にあったのでしょう。コザの横丁の飲み屋で、彼は年下の私を前にして、よく泣いていたのです。

私が悲しそうな歌をうたえば、自然と兄さんは自分の戦後の嘆きを語り始める。そしてまた涙を流す。その繰り返しです。

「また明日、ここで飲もうか」「あなたも来ますか」「ええ」……何度かこんな言葉を交わしました。しかし、いつしかこの人の姿は私の周囲からは消えていました。寂しそうで本当に可哀想な人でした。

歌が「降りてきた」のはその後のことです。
…………

この悲しい歌詞を、私は時間をかけてメロディを付けてみようと思いました。そしてしばらくして今に謳われる「戦後の嘆き」が58年に完成したのですが、もうあの兄さんはこの世にいなかったようです。

風の便りが「あの人は亡くなったようだ」と伝えてきました。

51B5N36ENRL.jpg

『キナワをうたう―登川誠仁自伝』 構成・藤田正 より引用

カンカラ三線
https://www.youtube.com/watch?v=2HWM8uSB98g

私は戦争を恨む
誰も恨みはしないが
戦争を始めた人を恨む
(和訳 by Toshi)

琉球民謡登川流の宗家、故登川誠仁先生が、
この歌詞を書いたのは、トイレの中だったそうです。

「戦後の嘆き」だけでなく、新人賞の課題曲でもあり、
エイサーでも使われる、「豊節」もトイレの中で作られたそうです。

登川誠仁/豊節
https://www.youtube.com/watch?v=fujTZdCg7xY

トイレって、なんか、すごいカムイがいる?
(綺麗にお掃除してると、金運アップするのはホンマなのか?)

沖縄のヒヌカンさんの祈りの中には、フール(便所)の神様への祈りも入ってます。

仏教では、トイレに入ったら、

オン クロダノウ ウンジャク

という、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)のご真言を唱え、
不浄な場所を、清浄な場所へ変える作法もあります。

ま、トイレに限らず、すべてのものは、
汚くしてるよりは、綺麗にしてるほうがいいに決まってる…
(海、山、川、人の心

慰霊の日摩文仁は、毎年、溶けそうに暑いです


沖縄慰霊の日 「平和ぬ世界どぅ大切」 小6が詩を朗読
https://www.youtube.com/watch?v=ISfW7WqbNDg

PEACE








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