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沖縄の世界遺産「玉陵(たまうどぅん)」~琉球国王の系譜~ [琉球通信:OKINAWA journal]






玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。所在地は沖縄県那覇市首里金城町。そもそもは第3代尚真王(在位1477年 - 1527年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。

玉陵(たまうどぅん) -Wikipedia より引用

”第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓”

と記されてますが、第二尚氏王統って、なんじゃらほい?

兎に角、琉球国王の系譜って(僕には)ややこしいので、
ここで今一度(自分の為に)整理してみることにしました。

まず、琉球王国が成立する前と後で整理して、
次に、時系列順に、国王の名前を並べてみました。
(Wikipedia を参照)


before 琉球王国


『中山世鑑』によれば、天帝が阿摩美久(あまみく)という神を下界に遣わし、琉球の島々を創らせた。しかしまだそれらの島々には人間が住んでいなかったので、阿摩美久は天帝に人の種子を乞い、天帝はこの願いを聞き入れて自らの御子の男女を降臨させ、二人から三男二女の子が生まれた。

長男は天孫氏の始祖、次男は諸侯の始祖、三男は百姓の始祖、長女は君々(高級神女)の始祖、次女はノロ(地方神女)の始祖となったとされる。天孫氏は25代続き、17802年間統治したという。25代目のときに、利勇という家臣に滅ぼされた。

その後、利勇を滅ぼして国を立て直したのが舜天といわれている。

天孫氏 -Wikipedia より引用

実は、この時代が一番謎が多くて、面白い時代だと思っています。
いわゆる、神話と実話がリンクする、とっても素敵な時代。
(神と人間の距離が一番近かった時代)

この舜天が、源為朝の子であったというのは有名なお話。
(舜天のお母さんは、糸満の大里の女性です)

ただ、このあたりのお話は、諸説があって、Wikipedia のリサーチだけでは、
大変混乱する内容になっています。
事実が明確ではないし、ライターも統一していないのが原因?
(ま、学者でもない、僕なりの、現時点での、整理ということで)

舜天王統
舜天1187-1237 / 舜馬順煕1238-1248 / 義本1249-1259

英祖王統
英祖1260-1299 / 大成1300-1308 / 英慈1308-1313 / 玉城1313-1336 / 西威1336-1349

三山時代 沖縄本島が、中山、北山、南山という3つの王国に別れていた時代で、
中山によって、統一され、琉球王国が成立します。

察度王統(中山王国)
察度1350-1395 / 武寧1396-1405?

怕尼芝王統(北山王国)
怕尼芝1322?-1395? / 珉1396?-1400 / 攀安知1401-1416

大里王統(南山王国)
承察度1337?-1396? / 汪英紫1388-1402? / 汪応祖1403?-1413? / 他魯毎1415?-1429


after 琉球王国


第一尚氏王統
①尚思紹王1406-1421 / ②尚巴志王1422-1439 / ③尚忠王1440-1444 /④ 尚思達王1445-1449 / ⑤尚金福王1450-1453 / ⑥尚泰久王1454-1460 / ⑦尚徳王1461-1469

第二尚氏王統
①尚円王1469-1476 / ②尚宣威王1477 / ③尚真王1477-1527 / ④尚清王1527-1555 / ⑤尚元王1556-1572 / ⑥尚永王1573-1588 / ⑦尚寧王1589-1620 / ⑧尚豊王1621-1640 / ⑨尚賢王1641-1647 / ⑩尚質王1648-1668 / ⑪尚貞王1669-1709 / ⑫尚益王1710-1712 / ⑬尚敬王1713-1751 / ⑭尚穆王1752-1794 / ⑮尚温王1795-1802 / ⑯尚成王1803 / ⑰尚王1804-1834 / ⑱尚育王1835-1847 / ⑲尚泰王1848-1872

第一尚氏と第二尚氏は、血縁関係はありません。

第二尚氏の初代尚円王は、伊是名島出身の金丸(かなまる)で、
第一尚氏の時代に、尚泰久王、尚徳王に使えた家臣でした。
家臣が国王になるというのは、世間一般では、クーデターをおこしたのか?
みたいな見方をされがちですが、
なるべくして、なったのでは?と僕は思っています。
kanamaru.jpg

若き日の金丸
第二尚氏王統 初代国王 尚円

第二尚氏王統 初代国王 尚 円(金丸)1415~1476 より引用

【玉陵(たまうどぅん)は、尚円王こと金丸のために、造られたお墓です】

琉球王朝としては、圧倒的に、第二尚氏王統の時代の方が長いです。

第一尚氏は、南城市の佐敷町がルーツで、
「月代の宮(つきしろ)」を守護神としていますが、
もともとの血統は、伊平屋島からという説があります。

第一尚氏、第二尚氏の発祥の地である、
伊平屋島、伊是名島は、琉球王朝が直轄に管理していた土地でした。
(ちなみに、名嘉睦稔さんは伊是名島出身)

伊是名島の「尚円王 金丸像」 作:名嘉睦稔

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Photo by Toshi

琉球愛歌 / MONGOL800
https://www.youtube.com/watch?v=6aIsc2uYDZs


沖縄県 世界遺産 玉陵(たまうどぅん) [HD] [地図あり]

https://www.youtube.com/watch?v=jw-WRVE_wpA

玉陵
https://www.youtube.com/watch?v=XzHeQ2tWfBU


沖縄のお墓は亀甲墓といい、個人のお墓ではありません。
門中(もんちゅう、ムンチュー)と呼ばれるグループが共同で使用するお墓です。
(玉陵も同じ仕様になります)

この門中というシステム、ネイティブ・ウチナーンチュではない僕には理解しづらいです。

「門中は同じだけど、親戚じゃない…」

ってケースが、多々存在しています。
ようは、死んだ後の自分が収まるお墓が同じっていうのが、門中が同じ?
(調査継続中)

PEACE








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